#1 なぜ甲府は「宝飾の街」と呼ばれるのか?

ブログ

山梨県甲府市。武田信玄の城下町として知られ、四方を山々に囲まれた盆地の中心に位置する街。
葡萄・ワイン・温泉といったイメージが強いが、実は日本最大の宝飾産業の集積地でもあります。
甲府は全国のジュエリー出荷額の約3割以上を占め、日本を代表する「宝飾の街」として確固たる地位を築いています。

では、なぜ甲府がここまで宝飾と深く結びついたのか。その理由を歴史や地域文化を紐解きながら探ってみましょう。

水晶との出会いがすべての始まり

甲府の宝飾の歴史は、江戸時代にさかのぼります。

昇仙峡と水晶鉱脈

甲府市の北部、国の名勝にも指定されている昇仙峡一帯は、良質な水晶の産地として知られていました。透明度の高い水晶は「甲州水晶」と呼ばれ、江戸時代から全国に流通。印鑑や数珠、仏具、装飾品などに加工されていました。当時の甲府では、甲府盆地を流れる荒川の水力を利用した研磨も行われ、職人たちが水晶を磨き上げる技術を発展させていきます。

水晶加工職人の台頭

江戸時代後期には、甲府に水晶加工を専門とする職人が集まり、地域産業として定着していきました。
「甲府の印章」「甲府の数珠」といった言葉が残るように、すでに宝飾の萌芽はこの時代に芽吹いていたのです。

西洋文化との融合でジュエリー産業へ

明治維新後、西洋文化の流入は甲府の水晶産業に大きな変化をもたらします。

西洋宝飾文化の導入

西洋では、水晶をはじめとする天然石をカットして宝飾品に仕立てる文化がありました。
これが甲府にも伝わり、水晶加工職人たちは新しい技術を学び始めます。
カットや研磨の技術が飛躍的に発展し、指輪やネックレスといった「装身具」としての宝飾加工が始まったのです。

甲府市中心部に広がる加工場

当時の職人たちは、甲府市中心部(現在の中央・丸の内・宝エリア)に工房を構え、日々石を磨き続けました。この「宝」という地名自体も、宝飾産業との深いつながりを感じさせます。
明治後半には、甲府はすでに水晶研磨の本場として全国的に知られるようになっていました。

貴金属加工との融合

大正~昭和初期にかけて、甲府の水晶産業はさらなる進化を遂げます。

ロウ付け技術と貴金属加工

水晶を宝飾品に仕立てるには、金や銀といった貴金属の加工が欠かせません。
甲府の職人たちは、金属同士を接合する「ロウ付け技術」や細かい「彫金技術」を磨き上げました。
その結果、水晶に限らずダイヤモンドやルビー、サファイアなど、多彩な宝石を扱えるようになります。
甲府の街は次第に「水晶の街」から「ジュエリーの街」へと変化していったのです。

甲府駅周辺に広がる宝飾関連街区

昭和期には、甲府駅から徒歩圏内に宝飾関連の工房や店舗が集積し、問屋街も形成されました。
現在も甲府市中心部には宝飾問屋街があり、街並みに当時の名残を感じることができます。

戦後の高度経済成長とともに拡大

戦後、日本経済の高度成長期を迎えると、装飾品や宝飾品の需要が急速に拡大しました。

ジュエリーの量産と甲府の役割

甲府にはすでに水晶加工・宝石研磨・金属加工といった一貫した製造体制が整っていました。
そのため、国内外のブランドから委託生産(OEM)の依頼が集中。甲府は一大ジュエリー産業都市として地位を確立します。

宝飾フェアの開催

1980年代には、甲府でジャパンジュエリーフェアなど大規模な展示会が開催され、国内外のバイヤーが訪れるようになりました。
街全体が「宝飾」を旗印にした産業都市へと発展していったのです。

現代の甲府 〜国内最大の宝飾産業集積地〜

現在、甲府市を中心とする山梨県内には、ジュエリー関連企業が1000社以上存在すると言われています。

国内シェア3割超

甲府の宝飾品出荷額は全国シェアの3割を超えの日本一
特に研磨・彫金・ロウ付けといった工程は世界的にも高い評価を受けています。

一貫生産体制の強み

デザイン、原型制作、石留め、研磨、ロウ付け、仕上げまでを地域内で完結できるのは甲府ならでは
「小さな町工場が互いに連携し、一つのブランドを作り上げる」という独自の産業構造が、甲府を支えています。

甲府で宝飾文化を体感できる場所

観光で甲府を訪れるとき、宝飾文化に触れられるスポットがいくつかあります。

これらを巡ることで、甲府がなぜ「宝飾の街」と呼ばれるのかを肌で実感できます。

まとめ

甲府が「宝飾の街」と呼ばれる理由は、

  1. 昇仙峡に代表される水晶鉱脈の存在
  2. 江戸時代から続く水晶加工の歴史
  3. 明治以降の西洋宝飾文化との融合
  4. 貴金属加工技術の発展と産業集積
  5. 戦後の高度成長を背景にした国内最大のジュエリー産業都市化

この長い歴史と地域全体での努力が重なり、現在の姿があります。

甲府の街を歩けば、城下町の風情とともに「宝飾文化の香り」を感じられるでしょう。旅の中で少し視点を変えれば、ジュエリーの輝きが、地域の歴史や人々の営みとつながっていることに気づけるはずです。

       
タイトルとURLをコピーしました